2012年3月9日金曜日

自殺予防講演会 小林市

ハルコンサートと一緒に行われた自殺予防講演会
元宮交シティー社長 講演 渡辺綱纜 ワタナベツナトモさんが宮崎交通の創始者である
岩切章太郎さんと川端康成さんとの思い出や人物像をとおして宮崎とのかかわり
人との出会いの大切さなどを1時間強講演いただきました。
 特に、川端康成さんが宮崎を訪れ、「たまゆら」を出筆する時の渡辺さんとの
できごとや川端康成さんの最後をご自身の言葉で聴衆へ語りかけてくださいました。












宮崎日日新聞より









岩切章太郎

岩切 章太郎(いわきり しょうたろう、1893年5月8日 - 1985年7月16日)は日本の実業家。宮崎交通グループの創業者。宮崎県宮崎市出身。
宮崎を観光地として整備した立役者として「宮崎観光の父」と呼ばれる。日南海岸に現在宮崎の風物詩になっているフェニックスの植林を行い、こどもの国の開園、えびの高原の観光開発、橘公園の造園など「大地に絵を描く」という理念で大型の観光開発を行った。住友時代の同期には、田路舜哉(住友商事会長)、土井正治(住友化学会長)などがいた。また大学の同窓生である岸信介元首相と懇意であり、佐藤栄作元首相に全日空の社長就任を要請されるなど中央政界にも太いパイプを持った人物だった。1988年より宮崎市は「岩切章太郎賞」を創設し顕彰している。
wikipediaより


川端康成
(かわばた やすなり)

川端 康成(かわばた やすなり、1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家。

大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表的作家として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞した。1972年(昭和47年)、満72歳で死去。死因については通説ではガス自殺とされている。

ノーベル賞受賞者 
受賞年:1968年
受賞部門:ノーベル文学賞
wikipediaより

渡辺綱纜 wikipediaより
渡辺 綱纜(わたなべ つなとも、1931年 - )は、日本の実業家。元宮交シティ社長。現在、宮崎産業経営大学教授。

朝鮮に生まれる。宮崎県立大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。
著書 [編集]
『アポロの泉に咲く花は エッセイ集』(皆美社、1983年)
『大地に絵をかく 夢とロマンの人岩切章太郎』(皆美社、1986年)
『翔べフェニックス見果てぬ夢の彼方へ エッセイ集』(鉱脈社、1996年)
『紫陽花いろの空の下で』(鉱脈社、1999年)
『マヤンの呟き』(鉱脈社、2005年)




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