2011年2月12日土曜日

避難所での3日目 2

結局家から持ち出したのは、服をさらに5日分くらいと毛布、自炊するかもしれないと考え鍋窯・炊飯器などでした。これらをNPOの事務所の倉庫に一時置いておこうという考えでした。街中の事務所は、避難所、役場などとも近いためそこを拠点にに自分の出来ることをしようと考えていました。事務所に行くと数人の仲間が今後や噴火の状況などを心配して話し込んでいました。ちょっとした差し入れも私ともう一人の非難したメンバーのために用意してくれていました。

それから私は、事務所のパソコンで始めてツイッターに投稿をしボランティアを呼びかけました。「助けて下さい。ボランティア募集 宮崎県高原町 新燃岳 灰除去作業・炊き出」ブログではもっと詳しく助けてほしいと。 
 そんな呼びかけをして、いろいろと段取りをメンバーと考え、事務所をボランティアを受け入れるように配置換えしたりしました。お昼の差し入れの残りを食べて、高原町内で営業している温泉に行き汗を流し、着替えをしてから避難所に帰ったのは8時過ぎでしょうか。その後も、メールなどで必要とされていることはなんなのか「子供の遊び相手・勉強する環境・食事の問題・今後どう新燃岳が推移しそうか」など近所の人と情報交換・世間話をしました。消灯後、横になったいいが結局あまりねむれませんでした。というかほとんどねむれなかった。

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