2011年2月6日日曜日

朝早いうちに3

30分ほど寝たかと思いますが・・・。横になっただけの不安なよるがぼちぼちあけ皆さん不安のままの状態だったと思います。あちこちで、話声がずーっと続いていたのはおぼえています。
あかるくなったころ母とどうするなど話していましたが情報が入らないので答えはなかなか出ません。
とりあえず、母は姉のところへ移動しようかと話していまいた。 近所の人たちは、私が回った方のうちその朝確認できたのは5軒くらいだと思います。班長さんとその話をしたら近所の親戚の家に行ったんだろうということでその話はおわっていました。 そうこうしているうちに、町長が話をしますというアナウンスがはいりました。8時すぎだったと思います。 町長がはなした内容はニュースなどで見られると思うのですが、私が理解したのは 火山の火口の溶岩ドームが前日の観測から直径700mの大きな膨らみへと変わっていたことが分かり、警戒レベルの4にあげることを検討していた。その予備的に皆さんには避難の指示をだした。 警戒レベルはでも3だから自分の責任で自宅に帰ることは可能だということでした。  「あ、帰れるんだ」「よかった」とおもったものです。 じゃどうすると、母と相談していたと思います。こんな経験もないからどんな朝ごはんが出るのかをとのんきな考えで、朝ごはんをもらって動こうということにしました。 朝は8時40から9時ごろに配られたと思います。 何が出るだろうとわくわくしていたこともおぼえています。 パンでした、クリームがまんなかに入った ほかに 缶詰のパン 菓子パンでした。 ま、こんなもんだなと思いながら知り合いの役場の人をてつだって箱をもってまわって配った覚えがあります。  つぎつぎ箱がくるのでとりあえず一個どれかとってと手当たり次第に配って行ったように思います。 ジュースもすこしありましたのでそれもくばりましたが足りなかったので、飲み物を確保するよう役場の方に言ったとおもいます。(入口の自販機で大量に買っているのを出かけるときにみかけました。)一通り配ったが、もう一個いいの?とかジュース・飲み物は?と聞かれてもとりあえずこれを一個とって下さいとしか言いようがない状態でした。 その後、母とじゃ、いこうかと避難所を後にすることにしました。 近所の人たちに行ってきますと声をかけたのは覚えていますが、入り口で出ますと言ったか覚えてません。


すみません。ぼちぼち人が集まりだしたのでこのへんで

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